フェンディ(FENDI)高価買取ポイント
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フェンディ(FENDI)の歴史と特徴
現存するラグジュアリー・ブランドの名前というのは大抵が創業者の名前を取ったものです。
日本で例えればブランド名が「鈴木」や「佐藤」みたいなものでしょうか?母国の人は違和感がないのかけっこう不思議に思っています。
フェンディもやはりフェンディ夫妻、エドアルドとアデーレによって創業されています。
もともとは皮革製品と毛皮の小さな工房からのスタートでした。
実は毛皮というのは、創業当初から扱っていたもので、アメリカのハリウッドで流行っていた毛皮の襟巻きにインスピレーションをえて毛皮のコートの販売を開始したことが現在のファーといえば「FENDI」のスタートだったのです。
この毛皮のコートがスマッシュヒットして、イタリア女性のステータスとして定着しました。
創業から20年経った1946年にフェンディ家の5人の娘パオラ、アンナ、フランカ、カーラ、アルダも店の運営に関わりだし、それぞれが見事なセンスと手腕を発揮し、フェンディは成長路線に乗っていきます。
フェンディ家の娘達も経営に携わり、創業以来順調に発展してきたフェンディですが、1965年に大胆なチャレンジに打って出ます。
1965年に当時まだ27歳だったカール・ラガーフェルドを主任デザイナーとして迎え入れます。
今でこそ「モードの帝王」と呼ばれ、ココ・シャネル亡き後のCHANEL(シャネル)を復活させ、自身の名前を関したブランドも展開するデザイン界のトップ カール・ラガーフェルドですが、この時はまだまだ駆け出しの状態です。
オートクチュールのピエール・バルマンやジャン・パトゥ、直近ではクロエ(Chloe)のデザイナーであったとはいえ、それほど有名ではありませんでした。
しかし、カール・ラガーフェルドの実力を見抜いていたのでしょう。
この抜擢は大成功を収めます。
カールによってフェンディのクラシカルな毛皮のイメージを刷新するような新しいデザインが次々と生み出されていきます。
これまでは使われなかった技法として、大胆なステッチ使いやエナメル加工、織り込みなどを駆使し、モダンで機能的な斬新なファースタイルを築き上げたのです。
カール・ラガーフェルドのもつ類まれなるセンスとフェンディのもつ確かな技術が見事に結合し、ユニークなラグジュアリーブランドとしての地位を確立していきました。
1969年からは毛皮のプレタポルテを発表しますが、カールのもうひとつの大きな功績はこのタイミングにあります。
フェンディの顔ともいえる「ダブルFのズッカ柄」。みなさんもよくご存知のこれぞフェンディというあの柄です。
これはカールがプレタポルテのスタートに合わせて、これまでコートやバッグの裏地に使われていた「ダブルF」を表地のデザインに使うことを提案したことから生み出されたのです。
カールがいなければ、今ごろはフェンディのあの有名なズッカはなかったかもしれませんね。
1970年代以降、フェンディは商品ラインナップを拡充していきます。
ちなみに日本への進出は1972年にフェラガモやブルガリなどの進出も手がけたアオイによって展開が開始されました。
1977年に毛皮、革製品以外にもジャケットやコートなどの幅広いアイテムが加わり、本格的にプレタポルテがスタートし、1985年にはフェンディ初の香水の販売を開始、1887年には毛皮とスポーツウェアのラインとして「フェンディッシメ」をスタートさせます。
1889年にはメンズ香水の「フェンディ・ウオモ」、さらに衣類と小物などにも拡大し、フェンディ・ウオモ コレクションとしてトータルメンズファッションとして展開されていきます。
この頃にはフェンディ家の3代目世代が経営に携わるようになっており、レディースはカール・ラガーフェルドですが、メンズラインはシルヴィア・べントゥリーニ・フェンディがデザインしています。
そして、1997年にはついに「バゲット」の登場です。
バゲットもシルヴィアのデザインによるもので、バゲットは発表当初から大当たりし、現在も続くロングセラーとなっています。
このように毛皮から始まったブランドは、素晴らしいデザイナーを迎え入れ、そして世代が替わってもうまく革新を続けながらその輝かしい歴史を刻んできました。
何もかもが順調と思っていたフェンディですが、そう全てがうまくいくとは限りません。
ラグジュアリーブランドの経営というのは、想像以上に大変なのです。
ブランドを維持するには品質を落とすことは出来ませんし、安易なライセンス販売は自らの首を締めることにもつながります。
かといって安売りすれば、それこそブランド自体の価値が下がってしまうのです。
こうした難しいブランド運営なので、みなさんがよく知るブランドも経営的に難しくなったブランドが多くあります。
あのグッチやプラダも経営難に陥ったことがありますし、シャネルやディオールなども同様です。
1999年にLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)とプラダ・グループによって買収されてしまいます。
2001年にはプラダ自身が経営難に陥って、フェンディ株を全てLVMHに売却したので、フェンディはLVMHグループ傘下に入り、現在でもLVMHの中の一ブランドとなっています。
2000年前後というのは、ちょうどグッチグループも勢力を伸ばしていたりとブランド・コングロマリットの再編成の真っ只中なのでフェンディもこの流れに飲み込まれてしまったということです。
ただ、フェンディにとってはこの買収は良い方向に向いたととられてもいいでしょう。
LVMHの協力なネットワークによって流通網が大幅に強化され、直営店が全世界で4店舗だったのが80店舗以上に拡大したのです。
日本でも2001年にLVMHとアオイによってフェンディ・ジャパンが設立され、2003年には表参道店もオープンするなどLVMHの買収によって日本人からするとフェンディは身近な存在になったのかもしれません。
現在のフェンディは若い世代から大人の女性まで幅広い年代に人気がある総合ブランドとしての地位を確立しており、現在進行中で成長しているブランドとなっています。
フェンディ(FENDI)が高価買取できる理由
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